人工授精の末、妊娠が分かり、通常なら万々歳!!(≧∇≦)/
となるはずが、なぜか私の場合、そこまで喜べませんでした。もちろん嬉しいんですよ!?嬉しいんですけど、なぜか素直に喜べなくて。
自分でも不思議だったので気持ちを整理してみたら、そこには3つの理由がありました。
喜ぶタイミングを逃してしまった
人工授精から2週間後の妊娠検査のとき、「数値的にはほぼ妊娠してるんですけど、安心できないから5日後に再検査ね」と先生に言われました。
その5日後の検査の時も、「妊娠は間違いないけど、心拍が確認できるまで安心できないからね」と言われ。
喜んでいいのか、悪いのか、よく分からない宙ぶらりんの状態でした。
だから、手放しで喜べるタイミングを逸してしまったまま時間が過ぎてしまったんですよね(;´∀`)
そもそも、不妊治療をしている時点で、自分の体に自信が持てなくなっているので、妊娠したと行ってもそう簡単には生まれてこないんじゃないかと疑っている自分がいました。
夫も同じ考えで、油断したらあかん!とずっと言ってましたしね。
少し前まで妊娠しなくていじけてたので、喜び方が分からない
基本的には楽観的で、妊娠できないことをそこまでひどく嘆くことはなかったんですけど、去年秋くらいから周囲が怒涛の出産ラッシュで。
Facebookを開けば、誰かが妊娠・出産報告しているような状態だったんです。
それに対して、100%の気持ちで「おめでとう!」と言えない自分。
出産した友達に対して羨ましい、妬ましいというよりは、素直におめでとうと言えない自分が情けなくて自己嫌悪に陥ってしまいました。
そこから一時期Facebookもログインしなくなりました。
そうそう、去年の秋にドラマ「コウノドリ」をやってたんですけど、それを見た友人がSNSに、「このドラマ、絶対見たほうがいい!子供を持つ親ならめっちゃ感動する!」とかって書き込んでたんですよ。
それを見て私は「いやいや、子供おらんくても感動するし!!!」って一人でキレてたこともありました(笑)
まあ、そんな感じだったので、いざ自分が妊娠した時に、色々考えすぎてしまって、どこまで喜んで良いのか分からなくなってしまいました。
妊娠報告して喜んでもらえるものなのかも分からないし、ってゆうか急展開で気持ちがついていかないし。
私は幸運なことに、人工授精で授かりましたが、体外受精や顕微授精を頑張っている人達だっている。そんな人がいる中で、「やったー授かったぜーい!ひゃっほー♪」なんて手放しに喜べなくて。
周りに気を使ったというより、自分が考えすぎてしまったんですね。
自分の体が変化することへの恐怖
3つ目の理由は、話しても友人にもあんまり理解されないんですが。
最初に「妊娠している可能性が高い」と診断されてから、『妊すぐ』という雑誌を買いに行きました。(「妊婦になったらすぐ使う本」の略ですが、そのまま雑誌名になっています。)
「妊すぐ」には、マタニティ用の下着通販の広告なんかも載っていて、そこに写っているお腹の大きな女性を見て、私は「気持ち悪い…」と思ってしまったんです。
ほんと失礼な話なんですけどね。なぜ、そう思ってしまったのかは上手く言葉にできません。誰か心理学に詳しい人とかで、そう思ってしまった理由を教えて欲しいくらいです。
でも、自分もいずれそうなっていくことに、そして、お腹だけじゃなく全体的に「母親」として体が変化していくことに漠然と恐怖、嫌悪感を抱いていたのは事実です。
今、だいぶお腹も大きくなっていますが、あのとき抱いたような嫌悪感はありません。
だからといってマタニティフォトを撮りたくなるような心境にもなっていませんけどね(;´∀`)
なんで皆、あんな照れくさくて恥ずかしいものを撮りたくなるんやろう…。
まとめ
今では、子供を授かったことに対して、純粋に喜びを感じていますし、生まれてくるのがとても楽しみです。
まあ出産の痛みに対する恐怖感はありますが。やっぱり双方の親がすごく喜んでくれたのが、一番大きかったような気がします。
病院に行っていない妊活時期も含めたら約2年半も望んで、やっと授かった子供なのに、いざ妊娠したら素直に喜べないってどういうことや!と自分でも不思議だったんですが、まあ妊娠中の女性の気持ちなんて移ろいやすいものなので、あまり深く考えこまないことですね。
以上、バンコクでの不妊治療編でした!